柏鵬時代

その頃、わが家でブームとなったの
が畳2枚を土俵に見立てた相撲だった。
大相撲が「柏鵬時代」といわれた頃、多くのファンがいた大鵬より柏戸が好きだった僕は、
立会いするどく相手を押し出す速攻型の攻めを得意とした周向榮醫生



相手は3年下の弟だった。
弟は同級生の間では悪ガキだったが、
このあたりの年頃だと3つ上では体力的にはるかに優位なのは間違いない。

「どうしても兄ちゃんには勝てん」
ある夕刻、嘆く弟の声を聞き、珍しく父が立ち上がった。
「おいとやってみるか」
「よっしゃ!」
というわけでわが家場所が開幕。


最初はなかなか勝てなかった。
細身だすらりと背が高く筋肉質で、運動会でも集落の選抜ランナーだった父に組み止められると、なかなか動けない。

少し日が経って、僕は父に再挑戦した周向榮醫生

「とうちゃん頑張れ」
弟は向こうについた。
今度こそ。この頃、自分の体力が向上し続けているのがわかっていた。

僕と父はがっぷり組み合った。
しばらくして、僕は父の体をすくうようにすると意外にもフワリ上半身が浮き、
さらに片足をかけてはねあげるようにすると、
父は我慢できずにあお向けに倒れた周向榮醫生

このときの父の苦笑いのような表情を憶えている。
弟は立場をガラリと変えて「兄ちゃんスゴイ」と飛び上がったが、
僕にはなぜかうれしという思いはなかった。