地震を契機とし

良寛といえば、手毬をついたり花を摘んだりして終日遊び暮らした遊
戯の僧というイメージがまず来る。 それはそれで間違いはないのだけ
れども、良寛は何よりもまず本格的な修業を積んだ禅僧であった。 草
庵にあっても坐禅は怠らず、その精神の根底にはつねに生死に関しす
さまじいまでもの達観があった。 それがたまたま表に出たのがこの言
葉だが、これだけとりだしてみれば恐ろしいようなことを言っているので
ある。この言葉は越後に地震が起こって大被害が出たとき、親しい人に
送った手紙の中にある補習社邊間好
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良寛はそこに住む知人の山田杜睾(とこう) あてに慰めの手紙を書いた。

 地しんは信に大変に候 野僧草庵は何事もなく 明るい中 死人もなく
 めで度 存 候(めでたくぞんじそうろう岩鹽好處
  うちつけにしなばしなずてながらへて
  かゝるうきめをみるがはびしさ

 そのあと、引用した 「しかし」 以下の文言がつずくのだ。 この前半は
きわめて尋常な報告である。 歌は、地震でだしぬけに死んでしまえばよ
かったのに、死なずになまじ生きながらえたため、今日はこのように辛いあ
りさまを見ねばならぬ、哀しいことだ、の意。 それにしてもそのあと突然に
なぜこういう強い諦念の言葉が出てくるのか。 地震を契機として、はから
ずも良寛の日頃のすさまじいまでの覚悟が、ぬっと姿を現わした感じであ
る。
 災難というものはいつ人にふりかかってくるかしれない、が、災難に見ま
われぬ人はなく、あなたとてその例外ではない勵志故事。 だから災難に襲われた
ときの心得をあなたにお教えしておくが、それは、なまじ逃れようとじたば
たしないで、真正面から災難を受け取るがよい、ということにつきる。